2月20日の日記

2005年2月20日 日常
日本アカデミー賞から私の“たかお熱”は急上昇してしまって、
昨日『解夏』の原作も読み直してしまった。

たった100Pほどの短編なのに、映画の世界がより深まって頭の中
でイメージされる。それはきっと、小説での隆之や陽子の言葉そ
のままを映画でも使っているからだと思った。

私は原作があって、それが映画化されるときは映画を見るまで
その本は読まないようにしている。自分の頭の中でイメージが
ふくらみすぎて、映画では消化不良になってしまうからだ。

昔、真保裕一の『ホワイトアウト』を読んだ。その後、映画化されたので
見に行った。600Pくらいあるものを2時間ほどで見せるのだから、
はしょるのは当たり前だ。しかし、私は内容を知っているため、
「あっ、ここ、本と違う。」
だとか
「あの話があるから、ここがよかったのに。これじゃ伝わらない。」
だの、雑念が入りすぎてあまり気持ちよく見れなかった。
決して映画がつまらなかったのではなく、本が良すぎたんだと思う。
一緒に見に行った人は荒々しく「興奮した!よかったぁー!」といっていた。

一方で映画を先に見ると、最初は何のことかさっぱり分からず、
内容を理解しようと必死だが、いい映画であれば、知らぬ間に
しっかり作品に没頭できる。そして、見たあとに本を読むと、
登場人物が思い浮かび、また場面場面もより詳しい描写で描かれ
ているため、すっと入ってくる。中には原作と書いてあるのに
全然内容が違うといったこともあるが、脚本家または監督はこの
話をああいう風にイメージしたんだなぁ、なんて考えながら読める。

あれ?じゃあ、逆でもそうやって見ればいいような気がする・・・。
どうしてダメなんだろう?

きっと、先に問題文を見てしまったからなんだろう。
問題文を読んでしまうと、先に自分なりの答えを考えてしまう。
その答えが映画の答えと違うとどうもすっきりしなくて、
妙な違和感となってしまう。

今、書きながら自分の生き方が表れている気がしてきた。
柔軟な対応ができない・・・。頭が固いってやだなぁ。

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蒼

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